はじめに
注)当店で導入している濾過装置を設けないタツノオトシゴの高密度飼育はタツノオトシゴ固有のFlame Cone Cells(火炎錐細胞)の特性を利用した上皮バクテリア定着に注目した「タツノオトシゴの生物濾材化」による養殖モデルであり、また育児嚢や棘の進化の理由となったと考えるスキンフローラ免疫選択説への追求プロジェクトであり他種魚へ応用できる技術ではありません。
現在タツノオトシゴ属全種はワシントン条約(CITES:絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)付属書Ⅱに掲げられていますが、水産価値がないためか日本では留保種とされています。
環境省海洋生物レッドリスト(2017)によると掲載種全体の約50%が情報不足(DD)と判定され多くの種について研究不足が確認できます。
漢方薬や海馬酒などタツノオトシゴの需要が多い中国では海馬属の全てが国家二級重点保護野生動物に指定され抗生物質に依存しない養殖技術が進み生残率は90%を超えることも珍しくないということです。
当店では中国の海馬養殖技術を参考に、更に天然資源に依存しない持続可能な繁殖を目指し人工海水、栄養強化したワムシ、アルテミアを使用しタツノオトシゴを繁殖していますが、ある程度の高密度飼育(10individuals.L-1)及び生存率90%を達成しています。
尚、高密度飼育は遊泳力に乏しい稚魚の間、餌の密度を高める方法として有効です。
参考
ワムシSS型:Brachionus rotundiformis イタリア
ワムシL型:Brachionus plicatilis 東京NH1L
アルテミア:Artemia franciscana BHB(Strainについては仮称)
ワムシについては海産稚魚の初期飼料となるカイアシ類に比べてセレンの含有量が30分の1以下と低いためセレン強化の人工飼料を用い、アルテミアはKrill、Fish、Schizochytriumのオイルを1:1:2の割合でオイルブーストします。1)
オイルブーストの方法は下記よりマニュアルがダウンロードできます。
改善点や企業秘密にしておきたい点もありますがタツノオトシゴの人工繁殖を促進し天然個体の乱獲を防止する観点からタツノオトシゴの飼育法を順次公開することにしました。
この記事を読む方々はタツノオトシゴの飼育に関して手練れの飼育者が多いことを想定し既知の飼育法に関してはほとんど触れることはありません。
むしろ魚類のなかで謎の進化を遂げたタツノオトシゴの謎の部分に触れることで革新的かつ核心的なタツノオトシゴ飼育方法を構築できると考え棘や育児嚢の形成について仮説を立てています。
尚、タツノオトシゴには複数の系統がありすべてのタツノオトシゴにあてはまるかどうかはわかりません。
当店では近年新種に同定された日本海産のヒメタツ(Hippocampus haema)のブリードをしております。
細菌感染症対策
タツノオトシゴ飼育に於いて最重要点はビブリオやエロモナスなどの細菌による感染症対策です。
タツノオトシゴは腸管関連リンパ組織(GALT)が退化し免疫系に弱点を抱えているうえに、基本的に生きた甲殻類しか食べないことから外部より持ち込まれる生き餌が感染源となることが多く、この点から考えると天然採取による生き餌を与える場合は細心の注意を払うようにしてください。
それでは冷凍餌が良いのでしょうか。
生き餌と冷凍餌の違いは生物学的な存否にあり、生き餌は腐敗細菌に分解されることはありませんが冷凍餌は腐敗が保留ないし遅らされている状態にあります。
解凍後は凍結保存による細胞破壊も伴い腐敗細菌が一気に増殖しやく感染リスクも一気に上がります。
タツノオトシゴが生き餌しか食べない理由も細菌感染から身を守る防衛本能であると言えます。
尚、生き餌は海洋産、汽水産、塩湖産などいずれを与える時も二次培養や栄養強化を忘れてはいけません。
海洋産の生き餌が一番適していると思いますがストック時間の経過とともに栄養価が低下していきますのでタツノオトシゴが栄養不足に陥りやすくなります。
細菌増殖を抑える一番の手立てとしては水温を下げることが考えられます。
英語圏ではプロテインスキマーや殺菌灯の使用を推奨する記述が多いように感じますが当店では糞掃除と換水を重視しています。
ある程度の水流は細菌増殖の温床となる堆積物を作らないという観点から有効です。
タツノオトシゴと免疫
脊椎動物の獲得免疫は約4~5億年前に板皮類(原始的な魚類)の胃腸領域に備わったと言われています。
「顎仮説」によると顎の獲得により、硬く大きな獲物を捕まえて噛み砕くことが出来るようになり食生活の多様化が進んだ一方、代償として飲み込んだ獲物の骨や鱗による消化器への損傷、また捕食による食物連鎖から生じる細菌・寄生虫の感染リスクが増加したことが免疫系発達に影響を及ぼしたと言われています。
タツノオトシゴはインド太平洋地域で約2,500万年前にヨウジウオから出現したと言われており、時系列に沿うと腸管関連リンパ組織(GALT)が備わっているべきですが、P/Q-rich SCPP遺伝子の欠如により歯が無く筒状に長く発達した口先から小さな獲物を吸引摂食する特殊な摂食パターンであるため消化器の損傷や細菌感染リスクが低下したことでGALTが消失または著しく機能低下していると言われています。2)
大型のタツノオトシゴは殻が硬く鋭い棘を持つエビを噛み砕くことなく食べることから消化器への損傷は不可避的であり、また細菌感染もミクロの世界での話しであり小さな口であっても不可避的と言えますので「顎逆仮説」には疑問を感じますが、事実タツノオトシゴの飼育にはビブリオやエロモナスによる腸炎対策が必要になります。
果たしてタツノオトシゴは弱い生物なのでしょうか。
遊泳力に乏しいタツノオトシゴが全世界に広がっていった経緯にはタツノオトシゴが持つ適応能力の高さ、すなわち魚類の中でもゲノム変化を素早く行える能力が関係しています。
タツノオトシゴには別の免疫系統を発達させる必要が生じ、その目的を達成することが出来たため不要となったGALTを廃したのではないかと考えます。
ではどのような免疫機能を発達させる必要があったのか仮説になりますが考えていきたいと思います。
タツノオトシゴは初期に大きく2つのグループに分かれ1つのグループが大陸移動とともに海藻や木片などに摑まることで生息範囲を拡大していきました。
興味深いことにタツノオトシゴの外見的な特徴である棘は辿り着いた新天地に適用するための収斂進化であることがゲノム解析により判明し、捕食者から身を守るためであると言われています。3)
確かに海藻やサンゴに潜んでいる姿は周囲に同化した擬態と言えますが、私は隠蔽擬態やペッカム型擬態とは別にタツノオトシゴの免疫能力に関わる秘密があると考えています。
タツノオトシゴの大きな特徴である棘と育児嚢にはタツノオトシゴ固有のFlame Cone細胞と呼ばれる粘液状の帽子(mucous cap)に覆われた細胞が存在します。
育児嚢の形成については表皮に現れる突起が原基となるためFlame Cone細胞はタツノオトシゴが何らかの目的で表皮に独自に設計した細胞と言えます。4)
Flame Cone細胞の粘液キャップは数種類のムコ多糖類(糖鎖)で構成され微生物叢の増殖に適しています。5)
そこでタツノオトシゴはスキンフローラ(皮膚細菌叢)を充実させることで子供と自分自身を守るバリア機能を高めたのではないでしょうか。
(2024.3.7追記:ゲノム、タンパク質に次ぐ第3の生命鎖として近年研究が進められている糖鎖も免疫機能に大きく関わっていると言われています)
育児嚢で善玉菌を増殖させることは育児嚢内の環境浄化や病原性細菌の増殖を抑えることが可能となり、育児嚢の中で子の表皮へ善玉菌を渡すことができるメリットがあります。
このことは長く無菌と考えられていた人間の子宮内にもフローラが存在することが判明し妊娠と大きく関係があることと似ています。
そして棘の形成は体表面積を増やし善玉菌の数を増やすことが可能になります。
但しタツノオトシゴの表皮は善玉菌だけでなく日和見菌や悪玉菌(以下まとめて悪玉菌)の増殖にも適していることになります。
自然界ではタツノオトシゴの表皮におけるスキンフローラは周囲の堆積物によって影響を受けることがわかっています。6)
自然界では汚染された環境から逃げることは可能ですが飼育下にあるタツノオトシゴには出来ません。
飼育には人工海水を使用することが多く無菌に近い状態であり、タツノオトシゴに与えられる生き餌により外部からビブリオやエロモナスといった悪玉菌が持ち込まれます。これが繰り返されることでタツノオトシゴの表皮における悪玉菌の割合は増加します。
この場合タツノオトシゴは棘を萎縮させ体表面積を減らし悪玉菌を減らす防衛手段をとることができますが水槽内に善玉菌が存在しないため悪玉菌が脆弱な腸まで達し腸炎を起こすことで死亡します。
これは人間の小腸にある腸絨毛がストレスなどで萎縮し表面積が小さくなることや病原性大腸菌が引き起こす絨毛の破壊と似ています。
また、主にビブリオ感染によって発症するタツノオトシゴの病気として知られる気泡病(Gas Bubble Disease)がFlame Cone細胞が存在する育児嚢、表皮そしてGALTが消失した消化器で発生する理由として納得できます。
どのように対策するのか?
1.プロバイオティクス
FAO/WHO合同専門家会議報告書では、プロバイオティクスを「適切な量で投与すると宿主に健康上の利益をもたらす生きた微生物」と定義しています。
歴史的に見るとプロバイオティクスという言葉はParker(1974)やFuller (1989) によって腸内細菌叢のバランスと関連付けて定義された経緯があり腸内善玉菌として捉える人が多いのではないかと思いますが、動植物とその周囲環境にとっての善玉菌として包括的に捉える環境プロバイオティクスの概念が重要ではないかと思います。
近年人間の指先の微生物叢が触れた物質に残る新しい「指紋」として法医学界で注目されています。
タツノオトシゴに於いては皮膚の微生物叢(マイクロバイオーム)の「指紋」を調べることで地理的起源を追跡可能としタツノオトシゴの保護に役立てようとするトレーサビリティの研究が行われています。
この研究によると野生採取のタツノオトシゴを飼育下に置いた場合、40日で「指紋」に変化が現れ飼育下では「指紋」は安定しやすい傾向にあることがわかります。7)
天然採取の棘の発達した(特にアクア業界で擬態軟骨と呼ばれるフサフサな棘を含む)タツノオトシゴを飼育下に置くと棘が消失することは珍しくありません。
通常は外敵から身を守る必要が無くなったためと考えることが妥当であると思われますが環境変化に伴う微生物叢(マイクロバイオータ)の変化も影響しているのではないかと考えます。
プロバイオティクスに使用される菌としては健康なタツノオトシゴの表皮、腸管、糞便などから分離培養された菌が望ましいと考えますが、実行するには相当の知識と技術及び設備が必要になります。
ここでは当店で実際に使用しているプロバイオティクスを紹介したいと思います。
記述中…
2.漢方
記述中…
参考文献
1)Marian Ponce, Inmaculada Giraldez, Sandra Calero, Paz Ruiz-Azcona, Emilio Morales, Catalina Fernández-Díaz, Ismael Hachero-Cruzado,
Toxicity and biochemical transformation of selenium species in rotifer (Brachionus plicatilis) enrichments,
Aquaculture,
Volume 484,
2018,
Pages 105-111,
ISSN 0044-8486,
https://doi.org/10.1016/j.aquaculture.2017.10.040.
2)Rahman, Arman. (1998). What brought the adaptive immune system to vertebrates?–The jaw hypothesis and the seahorse. Matsunaga T, Rahman A. Immunol Rev. 1998 Dec;166:177-86. Review. PMID:9914912 [PubMed – indexed for MEDLINE].
3)Li, C., Olave, M., Hou, Y. et al. Genome sequences reveal global dispersal routes and suggest convergent genetic adaptations in seahorse evolution. Nat Commun 12, 1094 (2021). https://doi.org/10.1038/s41467-021-21379-x
4)Kawaguchi, Mari & Okubo, Ryohei & Harada, Akari & Miyasaka, Kazuki & Takada, Kensuke & Hiroi, Junya & Yasumasu, Shigeki. (2017). Morphology of brood pouch formation in the pot-bellied seahorse Hippocampus abdominalis. Zoological Letters. 3. 19. 10.1186/s40851-017-0080-9.
5)Bereiter-Hahn, Jürgen & Richards, K. & Elsner, L. & Voth, M.. (1980). Composition and formation of flame cell caps: A substratum for the attachment of micro-organisms to sea horse epidermis. Proceedings of the Royal Society of Edinburgh. Section B. Biological Sciences. 79. 10.1017/S0269727000010356.
6)Ortega, R.C.M.H.; Tabugo, S.R.M.; Martinez, J.G.T.; Padasas, C.S.; Balcázar, J.L. Occurrence of Aeromonas Species in the Cutaneous Mucus of Barbour’s Seahorses (Hippocampus barbouri) as Revealed by High-Throughput Sequencing. Animals 2023, 13, 1241. https://doi.org/10.3390/ani1307124
7)Felipe P.A. Cohen, Tânia Pimentel, Wagner C. Valenti, Ricardo Calado,
First insights on the bacterial fingerprints of live seahorse skin mucus and its relevance for traceability,
Aquaculture,
Volume 492,
2018,
Pages 259-264,
ISSN 0044-8486,
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